母親が極度の夏バテと勝手に思っていたのは実は「骨髄異形成症候群」という血液がんの一種だった
も・く・じ
当ブログとメルマガ配信がストップしてからすでに4ヵ月。
本当にご無沙汰もんです。
ストップの原因は、表題にもある「骨髄異形成症候群」という病気のせいです。
といっても私ではなく77歳の母親の話ですが。
もしも身内に『短時間で極度の疲れが出てしまう』ご高齢の方がそばにおられたら、もしかしたらこれから書くことが早期発見の手助けにもなるかもしれません。
一度血液検査を受けさせてみてください。
私の場合、昨年の夏の段階で母の異変に気付いていればここまでの大事には至らなかったかもしれないとかなり後悔してます。
夏バテ…だよね?
あまり詳細に家庭環境を語ることはできませんが、私の母親は福島県の実家でずっと一人暮らしを続けています。
父が30年以上も前に他界して以来、ずっと一人での生活を続けています。
現在の母の齢77歳。
本来なら私が同居して面倒をみるハズだったのですが、諸事情により実現に至っておりません。
ホント親不孝モノです。
話は昨年の夏にまでさかのぼります。
それは小学生の娘と共に、とあるレジャー施設に母親と3人で遊びに行った時のことです。
母はちょっとした坂道を登るだけでもすぐに疲れを見せました。
その時、いつもよりは疲れの度合いがちょっとひどいかなという不安はあったんです。
でもその日はあまりに暑かったため、極度の夏バテによるものだろうと勝手に解釈していたのです。
しかも目に見える症状はそれだけだったのでそれ以降はお互い特に気にすることもなく、それぞれ通常通りの暮らしを続けておりました。
しかしその時すでに病気はじわじわと進行し続けていたんです。
要再検査、即入院ってどういうこと?
先の帰省からおよそ1か月後、残暑がまだまだ厳しい昨年の9月のことでした。
母親から久しぶりに電話があり、開口一番、
なんだか明日から緊急入院しないといけないらしいんだけど、ちょっと来れるかなぁ?
えっ?緊急入院?
よくよく聞いてみると、何やってもすぐに疲れが来ちゃうんで心配になってかかりつけの医者に診てもらったところ、血液検査の結果が医者もびっくりするほど悪い数値だったというのです。
医者が下した診断は要再検査、即入院!
母の都合もきかずその場ですぐに大病院への紹介状を渡されたそうです。
そこでの血液検査の結果は、赤血球・白血球・血小板すべての数値がありえないほど低すぎるというものでした。
例えて言うなら体内を巡る血が異常に薄い状態だったということです。
再検査の結果
母からの連絡を受けて翌日、すぐに実家に戻った私は最低限の入院の準備だけして、指定された病院へ母を連れて行きました。
後に判明することになる母の病名は「骨髄異形成症候群」というちょっと耳慣れないものです。
独自に調べてみたところ、血液細胞のガンの一種らしいですね。
(主治医の先生は母に対してもちろんガンという言葉は使いませんでした)
血液というのは骨髄というところでせっせと作られているそうです。
母の場合、その骨髄の細胞の染色体に異常が発生しており、それが元で赤血球・白血球・血小板すべてに異常をきたしていたということです。
染色体の異常って言われても、実際のところそれがどういうことなのかはいまいちわかりませんでしたが、なんとなく「これはちょっとヤバいゾ」という雰囲気は感じました。
知ってる方も多いでしょうが、赤血球は身体の隅々まで酸素を運び、白血球は外部からの病原体から体を守ります。
血小板は血を固める働きを持っています。
つまりこれらがまともに機能してないということは身体の抵抗力が弱まり、ちょっとした病気にかかっても大事に至る可能性が大ということを意味します。
さらに症状が悪化すると急性骨髄性白血病にもなりかねないというとてもやっかいな病気だそうです。
指定病院での検査ではその急性白血病にどの程度の割合で移行しやすいかという数値まで教えてくれました。
結果は『緊急』レベル。
このまま放置すればほぼ急性白血病になるであろうという数値だったんです。
私の古いイメージだと「白血病」=「死」という印象が強いのでちょっと驚きを隠せませんでした。
ただ今は必ずしもそうでもないようです。
しかし問題は母の年齢です。
80近い身体に白血病は「ちょっとマズイ」そうです。
先生は、”初期検査が終わったばっかりだし本格治療前なのでなんとも言えない”と言葉を濁しておられましたが、『近いうちに抗がん剤を使用しないといけない』レベルであることはそっと私にだけ伝えていました。
正直、参りましたよ。
ガラにもなく涙も出ました。
余命宣告を受けたよう気分でしたから。
一方、母親の方はと言えば、それまで大きな病気とは無縁の人でしたから、即入院と聞いて心配よりも動揺の方が大きかったようです。
なんで今ごろこんなことに。
これが母親の正直な感想でした。
そうは言ってもこればっかりは神様のみぞ知るですからどうしようもありません。
何も理解できず、動揺しかなかった母でしたので、主治医の先生から病名を告げられ検査データを示されても「???」という感じでした、最初のうちは。
しかしながら入院後1週間もしないうちに大部屋からクリーンルーム(無菌室)への移動を命じられたときにはさすがに事の重大さを認識したようです。
私の目をじっと見つめ、
「このまま病院で死んじゃうのかな?」
「もう家には戻れないんだろうか?」
という心配ばかりが口をつき、そのたびに涙を流していました。
今まで見たこともないような不安な顔がそこにはありました。
そのたびに「決して軽い病気ではないけど治療で治るものなので大丈夫」と平静を装って言い聞かせていた私です。
治療について
骨髄異形成症候群というのは主に50歳を越えてからかかりやすい病気らしく、その原因はまだはっきりとはわかってない病気のようです。
実際の治療ですが、年齢が年齢だけに病気を完治させることは不可能と前もって先生から言われていました。
状況が好転する可能性も現時点では低いと言われていたので、はっきり言ってある程度の覚悟はせざるをえませんでした。
その治療法ですが、先生の話を聞く限り、症状の重さや年齢によって大きく3種類に分けられるようです。
素人の言い方なのでうまく伝わるかどうかわかりませんが、体力も余っている若いうちは
1.骨髄にある悪い細胞を良い細胞と総入れ替えする移植のような治療法が有効だと。
この治療法のみ病気の完治も見込まれるということでした。
ただし強力な治療法であり高齢者には不向きとのこと。
もちろん母にも無理です。
2.上記の治療法が困難でなおかつ症状が重い人へは「抗がん剤」の投与が行われます。
私の母親は最終的にはこの治療法に頼るしかないだろうというのが先生の見立てでした。
しかしながらいきなり抗がん剤というのも早計なので1回目の治療の結果を見てからということになり、次に記す3つ目の治療法から始めたわけです。
3.悪い細胞の発症をできるだけ抑える。
具体的には専用の薬を点滴投与します。
加えて母の場合は輸血も必要でした。
体への負担はほとんどないですが治療効果は低く、時間をかけてゆっくりといい方向に持っていく療法のようです。
気分が悪いなどの副作用が出る可能性もあるそうですが、痛みを伴ったり髪の毛が抜けるなどの症状はないということでした。
輸血に際して
輸血の場合、誓約書のようなものにサインを求められます。
その内容は、”いろんなところから集められた血液なのでもしかしたら不良血液が混じっている可能性もないことはないが、それに関しては病院側に責任は問えない”というようなものだったと思います。
もちろん上記のようなストレートな文章ではなく、実際はもっとやんわりとした表現でしたけど。
これはどちらかというと同意書のようなものでした。
そうしないと輸血をさせてもらえないのですから。
それは最初の輸血が終わった日の翌日のことでした。こんなニュースが流れたのです。
「エイズウイルスに(HIV)に感染した男性が(検査目的で)献血した血液が輸血に使用され、患者1人がHIVに感染した」
まずいなぁと思って病院に向かうと案の定そのニュースを見たらしく、青ざめた表情で「私の身体にもああいう血が入っちゃうの?」と輸血の怖さを心配してました。
そういわれても輸血をやめるわけにはいきません。
だから私には「あんなの確率的にはとっても低いモノだから大丈夫。とにかく心配しないことが最大の治療法」だと言い聞かせるしかなかったんです。
実質的な治療期間は1週間です。
その後3週間は何もせず、都合1ヵ月経ったら2回目の治療に入ります。
つまり1回の治療に1ヵ月かかるということです。
もちろん血圧検査など日々の検査はちょこちょこありますが、基本的に1週間治療して3週間はお休みというものでした。
なので治療が終わると何もすることがありません。
素人目には変わった治療法だなぁと思いましたが、血液の専門医が行う治療ですからそれに淡々と従うほかありません。
私とは言えば、いきなり母が入院してしまったものですから、母の身の回りの世話や無人となったの実家の冬に向けての支度などで、何度も東京と実家を往復することになります。
症状の重さから考えれば、最低でも半年は入院が続くんだろうなぁと勝手に考えていました。
母を看病しながらこの先の身の振り方を真剣に考えていたものです。
暫くは実家に居続けないといけないかなぁ、でもそれだと奥さんの負担が増えてしまうし交通費だってバカにならないし。
インターネット回線もないから仕事にもなんないし。
さてどうしたものかなぁ…なんてことを考える毎日でした。
ところがですよ。
模範患者
先生も私もその症状の重さからおそらく長期の入院生活を余儀なくされると見立てていたのですが、なんと3ヵ月程度で退院までこぎつけてしまったんです。
今考えてみればすべてが順調だったことが幸いしたのかもしれません。
まず最初のかかりつけの先生に速攻で緊急入院を勧められたこと。
そのより詳しい検査のために翌日に指定病院に向かったところ、さほど待つでもなく検査の結果が出て病名まで特定されたこと。
そしてその日のうちに入院ができたことなどなど。
大部屋にいる他の患者さんたちの話を聞いていると、検査ばかりで病気が特定できない方もけっこういるらしく、隣のベッドにいた患者さんは入院して1ヵ月にもなるのにまだきちんとした治療も受けられないということでした。
その点、母親は1回の検査で病名を特定することができ、しかもベッドも当日空いており、なによりその日の当番の先生が血液専門の先生だったという幸運も重なっていたんです。
病気の性質上、感染症に非常にかかりやすい身体ということで本来なら最初からクリーンルーム(無菌室)での治療が望ましいのですが、クリーンルームの数は限られています。
入院当日もすべてのクリーンルームが『満室』でした。
そのためそこに入るには部屋から患者さんが出て行ってくれるのを「待つ」ことになります。
そのクリーンルームに、入院してわずか3日後に入れたことも奇跡的な運の強さでした。
入院からおよそ1か月後、最初の治療が終わっての検査結果です。
予見では「変化なし」との見立てだったんですが、予想に反して数値はなんと上向きでした。
その数値の上がり具合自体はわずかだったんですが、思っていたよりも良好だったため、第2段階の治療である「抗がん剤の投与」は結局見送られることになりました。
さらに2回目の治療結果も良好で、各数値は標準値にだんだん近づいており、その結果は主治医の先生も予想外だったらしく「治療がうまくいってますねぇ」と笑顔で答えてくれたものです。
11月の治療を終えた段階で、一時はどうしようもない数値だった赤血球・白血球・血小板の数値は奇跡的にほぼ正常値に戻ります。
しかもそれ以外の数値もほぼすべてが標準値内だったため、数値上は健康人となんら変わりがありません。
むしろ中性脂肪や肝機能の数値が標準値を大幅に超えている私の方が入院してもおかしくないように思えてくるほどでした。
さらに12月中の退院のお墨付きももらえたことには母も私も驚きの一言でした。
先生に言わせれば、母は「模範患者」だそうです。
確かに先生や看護婦さんの言うことは100%実行してましたからね。
それに私が「いろいろ心配なことはわかるがそれが治療のブレーキにもなっちゃうからとにかくおおらかにいるよう努力しろよ」と口をすっぱくして言い続けたことも功を奏したのかもしれません。
クリーンルームってどんなの?
ここでクリーンルーム(無菌室)について少しお話しておきましょう。
クリーンルームというのは、特殊な空調設備が備わった部屋のことで部屋外からの菌の流入感染を予防するために常にきれいな空気が部屋内を循環している部屋のことです。
こちらが今回入院していたクリーンルーム。
一般病棟と料金は同じですが完全個室です。
広さは8畳程度でしょうか。
奥に見える銀色の覆いみたいなものが空気清浄機(循環装置)です。
24時間「ゴォー」という音を立てて空気を循環させているので決して静かではないです。
人によってはその音に慣れるまで熟睡はできないかもしれませんね。
面会人は親族1人まで。
最初に入口で両手をアルコール消毒します。
中に入るとさらにビニルのカーテンで遮られています。
その狭い空間で指定のガウンを身にまとい、帽子を被りマスクを着用してから初めて部屋の中に入れます。
水道は手をかざすだけで水やお湯が出ます。
勿論トイレ付。
ただこの部屋にシャワー室はありません。
かといってクリーンルームでの治療中は原則として一切外に出られないので、シャワーに入れない日が1週間ぐらい続くこともあります。
(その代わり、毎朝からだを拭けるようにはなってるようです)
そうなんです。
ここに入ったからには一歩も外に出ることが許されないのです。
外部からの菌をもらわないために。
母親はもう歳なので適当に時間を潰せるとは言っていましたが、若い人にはかなり辛いと思います。
完全軟禁状態ですから。(笑)
食事もクリーンルーム仕様に変わります。
生ものは一切でません、すべてが加熱食です。
発酵食品もダメです。
したがって梅干しや漬物などの持ち込みはNGです。
果物でさえ食べていいものとダメなモノがあります。
(確か皮の薄いものはダメだったような…ちょっと忘れました)
このクリ―ンルーム生活ですが、都合2ヵ月程度入っていた計算になります。
拷問に近い感じがしないでもないですが仕方ないですね。
母は携帯ラジオとクロスワード雑誌でなんとか時間を潰していたようです。
それでもクリーンルームへの移動後1ヵ月を過ぎたころにはさすがに「入院するのは仕方ないけどできるなら大部屋に早く戻りたい」とグチをこぼすようにもなりました。
外に一歩も出られない生活にかなりストレスがたまっていたようです。
とりあえずの退院
予想よりもだいぶ早く、昨年の12月下旬、無事退院を迎えられました。
正月を実家で迎えることができ、とりあえず一安心しているところです。
もっとも完治したわけではないので、できるだけ菌をもらわないよう相変わらずマスク着用、人混みも厳禁です。
しかもおよそ1.5ヵ月ごとに10日前後の治療入院は今後も続きます。
もしかしたら体調が急変する可能性がないこともないですが、なんとか自宅療養まで持ち直したことにはホッとしているところです。
ただ温室のような病室から寒いところでの生活にいきなり戻ったせいでしょうか、血圧が安定せず、疲れもすぐに出るので寝たり起きたりの生活が続いてます。
そんなわけで、去年ほどではないですが、まだまだ東京と実家を往復する生活が続きそうです。
ずっと一人暮らしを強いらせていた母親への親孝行と思うようにしています。

ブログは再開いたしましたが、フル回転での更新はまだちょっと難しそうです。
それでも今年からは限定的なカテゴリー記事ではなく、できるだけ幅広い分野でのお役立ち情報を濃く発信していきたいと考えています。
それにしても今回一番感じたことは、ネットビジネスをやっていて本当によかったということです。
これが給料制のサラリーマンだったらこんなに頻繁に実家に帰れることも休みを取れることもなかったでしょう。
もしかしたら退職も視野に入れて看病しないといけなかったかもしれませんね。
その点ネットビジネスならパソコン一台あればどこにいてもどうにでもなります。
もっとも、田舎に帰省中は親の面倒見もあって実のところそれほどまとまった時間が取れず、実家にインターネット回線がなかったこともあって仕事はほとんどできなかったのが実情です。
ネットに関しては、帰省するたびにレンタルWi-Fi機器を借りていたのですが、最低でも5,000円は超えてしまい、返却の手間もあったりで割高だし面倒くさいという印象が強かったですね。
しかもうちの実家はかなり田舎なので3G回線しか入らず、むしろiPhoneのテザリング機能を使った方がスピードが速かったなんてオチもあります。
(今回の件を機に田舎にも常設ネット回線を引くことにしました)
最後に。
この記事を読まれた方で極度の疲れを見せているご高齢の方がそばにおられましたら、一度、血液検査を受けさせてみた方がいいかもしれません。
私の場合、昨年の夏の段階で早めに気付いていればここまでの大事には至らなかったかもしれません。
早期に退院できたのも稀なケースだそうですので、早め早めの検査をおススメします。
どうぞ、ご慈愛ください。
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